憲法の成り立ち

憲法情報サイト「憲法の成り立ち」



法治国家の根幹

この現代という時代において、地球上に存在している数多くの国は、そのほぼ全てが「法治国家」というスタイルによって国家を運営しています。この法治国家とは、その文字通り法によって治められた国家のことで、ありとあらゆる事象についてそれらを規定する法律があり、その規範の基で生活が営まれることになります。その法治国家を表す上で、よく言われるのが「人は皆、法のもとに平等である」という理念です。これは端的に法治国家のことを表していると言うことが出来るでしょう。とどのつまり、法律さえ遵守していれば私たちは基本的に自由であり、誰もが平等に何の制限を受けることもなく、その人権を脅かされる心配のない社会に生きることが保障されているということになります。さて、そうした時に生まれてくるのが「法」というものが人が人を縛るものであり、それ自体が不自由なのではないか?という疑問でしょう。全くもってそのとおりであり、法は本来どんな制約をも受けることがないはずの生物に対して、その行動に制約を設ける一種の枷であることは間違いありません。しかしながら、この枷はあなただけではなく、すべての人を均等に縛り付ける枷なのです。この枷の存在が、どうして縛り付けるものであるというのに我々人間にとって利益があるものであるとして、これほどまでに重視されてきたのか、それについては法律が生まれたその時代にまでさかのぼって考えてみなければなりません。世界において初めて法律が制定されたのは、古代ギリシャの時代であり、実に紀元前600年前後にまで遡ることになります。その時代の法律というのは、極めて簡素であったと考えられています。その基本となるのは、「殺人の禁止」「窃盗の禁止」の2つです。人を殺すことと、物を盗むことは、特にこの時代において重罪であるとされました。それでは、なぜピンポイントにこれらの行為が禁止されたのか?それについて後世の法学者ロックは、法律の無い状態のことを「自然状態」と呼び自著『リヴァイアサン』の中でこう説明しました。『我々人間は、自然状態に有る時、必ず「万人と万人の闘争状態」に陥ることになる。』というのです。これは、つまり殺人や窃盗に関する禁止の無いような社会においては、それらが横行し、結果的にすべての人がすべての人と対立し、闘争することを余儀なくされる世界になる、ということです。今でこそ、このような法治国家が一般的となり、我々人間はある種の「道徳心」によってこれらの行為を抑制しているのだと錯覚しています。しかしながら、この道徳心というのは、本来もとより人間に備わっているものではないのです。人間は確かに高い学習能力と知性、更には後世に向ってその知識を伝達していく為に必要不可欠な文字という文化を持った非常に特異な存在でこそありますが、その本質は動物であることには他ならないのです。これについては、精神分析学の権威であるフロイトが「イド」という存在として研究しました。イド、あるいはエスと呼ばれるものは、日本語に訳するのならば「欲動」です。よりわかりやすく訳するのならばそれは「本能」となるでしょう。つまり、我々人間の中にも、他の動物たちと何ら変わらない、本能という欲動が存在しているということです。そしてそれらは、「超自我」という自我を超えた存在によって抑制されているとフロイトは説明しました。そして、イドを抑えつける「超自我」というのは、幼少時の親や学校による教育から生まれる「道徳心」であるとしたのです。つまるところ、この道徳心というのは我々が文化の中で生み出した後付のシステムに他なりません。つまり、これらの道徳心を植えつけ、我々を「万人と万人の闘争」から掬い上げるのが、法律であるということになります。もし法律という枷がなく、我々に道徳心が十分に植えつけられていないとしたら……きっと「殺してやりたい」と思った相手のことを躊躇いもなく刺すでしょう。「欲しい」と思ったものを躊躇いもなく盗むでしょう。お金が欲しければ人を騙すでしょうし、子供が欲しければ異性に乱暴を働くことだって恐らく抵抗がないものになってしまうことでしょう。それが、自分が常にする側であるならば良いですが(いえ、決して良くはないのですけれど)、それらは同時に自分も被害者となり得ることになるのですから、大問題です。自分が危害を加えない変わりに、自分も危害を加えられない、それが法治国家の根本であると言うことが出来るのではないでしょうか。さて、そうして出来上がった法治国家というシステムには、欠かすことができないものがあります。それは言うまでもなく法律であり、主権です。法律というのは、人が人を縛るものですが、この時現代の法治国家に於いては必ず守られていなければならないルールが1つ存在しています。それは、縛る者も、縛られる者でなくてはいけない、ということです。要するに、主権者は必ず法律の下にいる存在でなければならないということであり、それは同時に国民が主権でなければならないという、近代民主主義国家の基本中の基本です。しかしながら、現代においてもこれが守られていない国がいくつかあります。例えばここ最近で暴動が起こり、内紛へと発展したことでよく知られることになったであろう、「リビア」がそのひとつです。リビアは、かつての戦争英雄であるカダフィ大佐(現大統領)によって治められる、独裁国家です。つまりは、法律を施行するのはこのカダフィ大佐であり、彼自身はその法律の制約を受けていないということになります。他にもあります。それは、お隣の大陸に現存する「中華人民共和国」です。人民共和国だなんてずいぶんと国民のことを考えているような名前を掲げながらも、その実でその国家体制は中国共産党による一党支配であり、単人物でこそないものの、かなり強度の独裁状態に有ると言っても過言ではありません。それというのも、中国は毛沢東という一人の人物によって形成された共産主義国家であるためです。今やかなり廃れてしまった国家形態である「共産主義」とは、要するに国民が生産したものは全て平等に国家のものとして、それらを平等に再分配することで完全に平等な社会を創りだす、という理想を掲げた国家形態になります。古くはソビエト連邦という巨大な共産主義国家が存在していましたが、昭和末期に崩壊、現在ではロシア連邦とその他の国へと分裂してしまいました。この共産主義は、ドイツの経済学者であり、思想家でもあったマルクスという人物によって強く提唱され、一時期は世界中を席捲する一大勢力でありました。マルクスの考える社会像は、極度に成長し成熟した資本主義は次第に共産主義へと移行していく、というもので、それを実践したのがソビエト連邦であったのです。しかしながら、この共産主義、その理念だけを聞けば誰もが平等で誰もが幸せな理想の国のような気がしますが、実際は全くそうではありませんでした。その理由として挙げられるのは、努力の甲斐がないということです。つまり、もしAという人が非常に努力をして10万分の仕事をし、Bという人が怠惰であり1万の仕事しかしなかったとしても、彼らの給料は足した11万を等分した5.5万ずつになるのです。これを、国家規模で行うのが共産主義であり、これはBの方の人達にとってはなんとも夢のようでありますが、Aの方の人達にとってはただただ搾取されているだけと感じても仕方が無いことでしょう。その結果、Aの側の人達も次第に努力をしなくなり、当然のように国力は衰退していくことになります。それでは困るとソビエトが行ったのは、恐怖政治でした。ようするに、全員が真面目に働くように、中央に1つの大きな権力集団を作り上げ、強制的に彼らを働かせたのです。そして、それに従わない人達は「粛清」されました。そういった経緯によって、ソビエトは一時的にその力を取り戻しますが、結果的には怒れる国民たちによって崩壊することになるのです。こうして、マルクス主義が理想論であり、実現するのが非常に難しいものであるということが世界中に知らしめられたのですが、それでも尚国家のアイデンティティとして、中国は共産主義を続けようとしました。しかしながら、ソビエトと同じような恐怖政治を行い強制的に共産主義を続けたところで、その末路というのは既に立証されてしまっています。そこで考えだされたのが、資本主義を折衷した共産主義でした。つまり、頑張ればその分収入を得ることが出来るし、その反面で最低限の生活は保証されている、というなんともどちらもの良い所をとり合ったようなスタイルです。しかしながら、そんな夢のような政治体制が、何のリスクも無しも成り立つハズがないのです。そうした時、中国が犠牲にしているのは、国民ではなく、国際社会でした。彼らは国際社会において取り決められているようなことには全く我知らずという顔で、自国さえ良ければ良いという政治体制、経済体系を続けています。その結果、現在中国ではとんでもないバブル状態になっていますが、これが国際法の下に攻撃され、官製バブルが盛大にはじけ飛ぶのは時間の問題です。……ずいぶんと話が逸れてしまいましたが、このように、法律によって規定されているということ、平等に枷がハマっているということがいかに重要なのか、国家単位で見てわかっていただけたのではないかと思います。さて、ここから解説していくのは、その法律の中でも最も根幹にあり、我々の生活にも非常に大きく結びついている「憲法」という法律についてです。我が国において施行されている憲法は御存知の通り「日本国憲法」ですが、その成り立ちや内容、それらがいったいどういったものであるのか、実際にはあまり知らないという人もいらっしゃるのではないでしょうか。そこでここからは、我ら日本の法治の根幹を為している日本国憲法について迫ると同時に、世界的に見て憲法というものがどのような成り立ちをしているのか、その両方について紹介していきたいと思います。